太陽と月と花火と

不確かな記憶の中に生きている

家事のはなし

家事が割と好きだ。

やり始めるまでは億劫なのだけれど、これが始めてみると楽しくなってくる。

楽しくなるっていうのは少し語弊がありかもしれない。

正しくは、何も考えなくてよくなることと、やるべきことがあると小さなストレスを感じてしまうから、そのやるべきこと、ストレスが減っていくというのが楽しいと錯覚させていると思う。

 

小学生の低学年は、家事の手伝いは、母が洗ったお椀を拭くという作業。6人家族だったので、洗い物も大量。水切り籠に置いておける量じゃなかった。

洗濯物は、母がバシッとしたものをハンガーにかけて干す係だった。

取り込んだ洗濯物を一緒に畳んだりもした。

家事のほかにエプロンを付けて一緒にお菓子作りもやった覚えがある。今とではだいぶ違うと思うけれど、小学生くらいまではかわいかったと思う。ってかかわいかったよ。うん。

 

中学になると、手伝いすることを嫌がり、小学生の頃よりはしなくなった。が、兄弟の中ではやったほうだと思う。というか、上から順序よく命令が下りてくる。今思えば軍隊かよってね。

しかし、末っ子なので元首に言いつけるという必殺技を時々使っていた。

 

 

一人暮らしを始めたころは、実家はなんて楽だったのかと実感したし、母に感謝した。そしてだんだんと部屋が汚くなっていった。

当時は自炊はまったくせず、するといっても、パスタ麺をゆでただけのものを食べたり、キャベツをただ切ったものを食べたりしていて、かなりの不摂生だったと思う。

 

 

いつの頃からかは忘れたけれど、家事をするのが好きになった。

冒頭で述べたようなことに気づいたからだ。

例えば、普段、部屋の中ははだしで生活しているのだけれど、ざらついてきたら掃除をするし、掃除を始めたら結構な掃除をやる。終わるとめちゃくちゃ気分転換になっている。

自炊も好きになった。

といってもまだ肉を焼くだとかだけで、まな板をたくさん使うのが苦手。ハンバーグを作るのは好きになった。今は、隠し味(調味料)と玉ねぎのカットサイズ(が触感に与える影響)を考えるのが楽しい。ソースを作る時も楽しい。

 

洗濯物やお椀洗いは、やり始めがかなり億劫だけれど、それでもやり始めると楽しくなる。

 

普段仕事でモノづくりをしているけれど、ユーザーが目の前にいるわけではなく、タイムラグがあるので、作業をした結果がもたらす満足感だとか実感だとかがあまりない気がする。

そういうこともあり、目に見えて変わるのがわかる家事は好きなのかもしれない。

 

 

以前だったら、来客がなければ片付けなんてしない感じだったけれど、今は綺麗になった部屋が自分へのご褒美感があってなんだか楽しい。 

 

 

今度、友達に会ったら教えてあげようと思う。

君のためというわけでもないけれど部屋は綺麗にしているよって。