太陽と月と花火と

不確かな記憶の中に生きている

髪の毛のはなし

髪って難しい。

バスケ部に入って丸坊主にしてからは、父に連れて行ってもらっていた理容室ではなく、自宅でバリカンだった。

ちなみに丸坊主以前は、ずっと、いわゆるお坊ちゃんカットだった。

 

バスケ部に入った時のことはバスケのはなしで触れているので見てみてほしい。

ucatsmikio.hatenablog.com

 

高校生になって、丸坊主ツーブロック、GIカットをバレー部の友人にやってもらったことがある。ハート形を頭に入れたりしたこともあったのを思い出した。

 

学生のころ、猛烈にアフロにしたくなって厳しい親にストレートに伝えてみたところ、母はやんわりとしていて、父に聞いてみなさいと。

父はなんとまぁ、髪の毛でこんなに怒るのかと思うくらい怒って、といっても普段あまり怒らないからびっくりしただけ、学校を辞めてアフロにするか、アフロを諦めて学校行くかを選択させた。

学校辞めるほどにはアフロに引かれていなかったので、無事に卒業まで学校を辞めることはなかった。

いわく、親のお金で生活をしているうちは、ある程度言うことを聞け。ということだった。

そりゃそうだと納得したので、社会人になって、アフロを決行した。

 

2年越しのアフロだった。

 

 

やっぱりというべきか、思っていたよりというべきか、とりあえずアフロは割と似合っていた。

アフロはすごかった。

 

まず、アフロにしてくれる美容室を探すところから始まる。

そして、施術に3時間は軽くかかる。何せほとんど美容室に行ったことがないのだから、これは本当に知らなくて、次の予定があるからと無理を言って、1時間半くらいにしてもらった。

 

1時間半のアフロは、パンチパーマだった。

 

1,2日でパンチパーマは無事にアフロになったのだけれど、次の予定というのが学祭での部内ライブだったので、アフロと主張してもパンチパーマ呼ばわりされまくった。特定の友人にだけど。

 

またアフロにしてみたい。

今はアフロよりは髪色を変えてみたい。

 

髪の毛を染めたことがない。

だんだんとうらやましいなぁって思うようになってるけれど、自分に似合う色があるのだろうかと疑問にも思う。ので、なかなか踏み切れない。

 

 

ちなみに、アフロのクッション性能はすごいし、アフロ内部に本当に物を隠せる。これはすごくテンションの上がることだった。

 

アフロの終焉は、突然やってきた。数か月の命だった。

沖縄勤務だが、本社が東京にあり、社長が沖縄にやってくるからさすがに申し訳ないけど切ってくれと、相当お世話になっている所長に言われたからだった。

所長がOKを出さなかったら、アフロなんて出来なかったことを考えると、仕方ないと思ったし、数か月でも夢が叶っただけ幸せだなって思えた。

所長元気かな。

 

 

今日、数年ぶりに美容室で髪を切った。

必要以上のことは喋らない美容師で、お店の雰囲気もすごく落ち着きのある配色でざ・大人って感じだった。

 

丸坊主にしてそのままであること

暑いので襟足は切りたいこと

髪を伸ばしたいこと

を伝えてカットしてもらった。すごくよかった。

 

美容室で切ってもらって気に入った髪型で初めてかもしれない。

 

今度、友達に会ったら、あまり喋る必要がなく、技術もある美容室があるよと教えてあげようと思う。

 

 

しかし、歯医者同様に椅子に座ってやることないと眠くなるどころか眠りこけそうになるのは、そろそろマズい気がしてきた。

 

ついに美容室に行くという壁を越えた。

一歩踏み出したよ。