太陽と月と花火と

不確かな記憶の中に生きている

バスケのはなし

小学校6年生の時にバスケットボール部に入った。

理由は、太ってるんだって気づいたから。

 

野球部やサッカー部など他の部活も入ってみようかと思った中で選んだのがバスケ部だった。

世代としてSLAM DUNKが流行ったわけでもないし、うちの小学校ではバスケ部は人数がめっぽう少ない方だった。

ちなみに小学校のサッカー部は本当は存在していなくて、代わりといっちゃなんだけど市内のサッカークラブがあった。

 

小学校4年生のころサッカークラブに入った。怖かった。

サッカー小僧な友達に誘われて2,3人で行ってみたけれど試合形式の練習になると、知らない人がめちゃくちゃぶつかってくるしなんならサッカー小僧も人が変わったようだった気がする。3日通ったかもわからない。

ただ、3,4kmくらいある帰り道で、10円のチョコドーナツをみんなで食べた覚えがある。実はおばあちゃん家が駄菓子屋なのです。

 

同じ時期に、空手道場にも通ったことがある。

空手道場とは言っても、市営体育館の2階の道場を間借りしている道場だった。サッカークラブに一緒に行った別の友達と一緒だったはずなのだけれど、よく覚えているのは黒猫みたいな同じ小学校の友人ができたくらいだ。

今思い返せば、雰囲気がすごく似ている音楽仲間の友達がいる。

 

空手道場にはしばらく行った。白帯から黄色帯になったころに那覇で開かれていた大会にも行った。別にうまくはなかったと思う。オレンジ帯になってからかなる手前かでやめた。黒猫は緑帯だった気がする。緑帯ってあるのかい。いつか黒猫の友達のはなしもしようと思う。すごくいろんなことを教えてもらった。

 

バスケ部に入る前までは割といろんなことをやっていたと思う。

母の勧めで幼稚園から小学校低学年くらいまでの1,2年は琉球舞踊を習っていたし、小学校はスイミングスクールにも通っていた。

 

きっとなんやかんやで運動をしていたから、太らなかったんだと思う。本当は太りやすい体質なのかもしれない。

 

小学校5年生の頃に、4年生の頃に社会を教えてくれていた先生と久しぶりにすれ違って太ったんじゃない?と言われた。放送室のドアの前だった。

 

自分の体なんて今まで全然気にしたことがなかったけど、そこからまずは太ももが太いって思い始めた。そりゃそうだ太ももだもんなって今は思う。

自己認識が欠如していた自分にコンプレックスができ始めた瞬間だった。

 

なるほど、太ってるんだ。と思い、運動しなくちゃと帰宅部ながらに思い。

サッカーは違うと思ったし、水泳は水泳部がなかったし、野球は簡単そうに見えてしまった。あと、野球部の一部の人たちが怖くてあまり好きじゃなかった。

 

バスケは子供ながらすごく難しそうに思えた。それはきっとルールが全然理解できなかったからだと思う。

当時、うちの小学校のバスケ部は鬼監督が教えていた。

めちゃめちゃスパルタ。どのくらいスパルタかというと、中学と高校を合わせた練習中に死んでしまうと思う回数よりも、小学時の練習の方が死んでしまうと思う回数がはるかに多かったくらい。

 

とてもきつかったし、よくずる休みしていた。

 

何度もバスケを辞めようと思った。

まず、そもそもパスが来るのが怖かった。

味方からのボールが怖いってなんだよって思われるかもしれないけれど、当時はおいおいドッチボールじゃねーんだよってくらいだった。運動神経悪かったんだと思う。

 

今はとてもバスケが好きだ。なんならまぁまぁ上手いですよってアメリカ人ばりのビッグマウスをたたくくらい。

 

 

今度、友達に会ったら、怖かったものでも続けていると怖くなくなることもあるんだよと教えてあげようと思う。なんならちょっと得意になっちゃうよって。

怖くても好きだったんだと思う。

 

曖昧な記憶の中でも覚えていることは覚えているんだね。

 

 

 

続きはまたの機会にでも。