太陽と月と花火と

不確かな記憶の中に生きている

さんぽの話

ある時を境に散歩をするようになった。

 

 

どうしようもないときは、いつもどうしようもないまま部屋に閉じこもっていた。

もちろん何も変わらないし鬱々とした気持ちが少し濃くなった気がした。

 

辛いとき、泣くほどではない辛いとき、さんぽをするようになった。

何が心を重たくしているのか、よくわからない時にもさんぽをするようになった。

 

お昼にもさんぽをする時もあるけれど、大体は夜だった。

もちろんお昼は太陽が照っていて暑いからというのもあるのだけれど、何がこの気持ちにさせているのかわからないときは大体が決まって夜だったからだ。

 

玄関のドアを開けて、足が思うように動かない感覚を感じながら階段をおりる。散歩に出かける日は大体が1日中部屋に閉じこもっていたりするからだと思う。

 

ああ、お昼に見えた景色は夜にはこんな風になっているのか。

今日は月が出てないな。今日は月が出てるのか。

 

 

途中、決まって腰を下ろせる場所を見つけて足を休める。

空を見上げたり、アパートやマンションで灯りが付く部屋や消える部屋を見たり、外の音をただただ聞いたりする。

 

よくわからないことはよくわからないままだけれど、少しだけこのままでもいいかって思えるようになる。

 

生きている。

 えらい。

 

 

誰からも必要とされず、頼れるほどの誰かが近くいなくても、生きている。

きっと世界は、自分が死んだら消えるのだ。

観察者がいないのならば、それは存在しないのと同じなのだ。

 

生きている。

から続いている。

 

 

よくわからないモヤモヤはよくわからないままだけれど、足を休めたら少しだけ前に進める気になる。

 

 

よくさんぽをする友達がいる。

よくさんぽをするっていうのは、勝手なイメージなんだけど、きっと他の人たちよりはよくさんぽをしていると思う。

 

道端に咲いている花を見つけ心の中で名前を呼ぶのだろう。もしくは教えてくれているのかもしれない。こちらはありがたく花の名前を聞き流す。スピードラーニング

 

今日も部屋に籠っていたのでそろそろさんぽに出かけようと思う。

ちなみにその友達はきっと今日もさんぽをしているのだと思う。

 

 

今度、友達に会ったら教えてあげようと思う。君のおかげで道はただ目的地まで歩くためだけのものじゃないってことに気づけたことを。

 

 

道にも人と同じようにそれぞれの背景がある。

あ、これうまいこと言ったね。

 

きっとそれぞれの空があり、雲があり、太陽があり、月があり、草木があり、花があるのだろう。

風が強く吹く日もあれば、雨が降る日もあり、そのたびにそれぞれの表情を見せるのだろう。

 

籠っていたらわからない世界はきっとどこにでもあるんだと思う。

さんぽの話だけじゃなく、それぞれに。