太陽と月と花火と

不確かな記憶の中に生きている

銭湯のはなし

銭湯を初めて入ったのは、千葉にいる従弟とその父と一緒に入ったのが初めてだったと思う。

近所にスーパー銭湯などがなかったというのもあったからか、それともただの文化なのか、家族で銭湯に行くなどという機会はまったくなく、今なお父や母、兄たちと銭湯に行ったことはない。

 

昨日の東京のはなしで書いたように東京に行ってきたのだけれど、そこで会いに行った先輩と銭湯に行くことになった。

 

ucatsmikio.hatenablog.com

 

板橋にて、旅立つ前の約束の通りに先輩と馬肉を食べているときに、先輩から銭湯に行かないかとの誘いがあった。

銭湯は人生で2回しか入ったことがないと思う銭湯初心者のくせに、なぜか銭湯に行くというのはすごくわくわくするもので、二つ返事で答えた。

ちなみに実際は、銭湯好き?銭湯行く?スーパー銭湯みたいなところなんだけどって感じに誘われた。スーパー銭湯が何なのかもよくわかっていない初心者にしたら、温泉も銭湯もスーパー銭湯も同じ場所を指す言葉だった。

 

 

人生で2度目となった銭湯は、友達と一緒にライブをするために来た名古屋でだった。示し合わせたわけでもないけれど、同じ便の飛行機だった。その2年前くらいにその友達と大阪でスーパー銭湯をチャレンジしてみたかったけれど、無様に失敗していたため、個人的にはかなり熱が入った銭湯チャレンジだった。

記憶にハッキリと残る年齢になってからの銭湯は、すごく恥ずかしかったけれど一体感というやつもすごかった。裸の付き合いっていう言葉がある意味が少しだけわかった気がした。

 

 

そして3度目となった銭湯は、とても好きな先輩と一緒だったからか、1度目や2度目の時よりも大人になったからなのかはわからないけれど、恥ずかしさはあまり感じなかった。

スマホも気にせず、人の目も気にしないで済むようになった空間というはすごく居心地がよかった。馬肉を食べている時よりもいろんな話をした。

お互いの詳細な近況報告や今後企画しているイベントでの悩み事、共通の知り合いの話、いろんなことを喋った。

のぼせてくるころには、服を脱ぐ前よりも先輩との距離が縮まった気がして嬉しくなった。少し恥ずかしく、自意識過剰気味に言い換えれば、お互いに少しだけ特別になった気がした。そしてそれが嬉しかった。

 

行った銭湯は、さやの湯というところで、靴入れのカギについたバーコードですべてのお会計を行うハイテク銭湯だった。自販機に売られているビンのミルク、ビンのミルクコーヒー、ミルクフルーツなるものもバーコードをかざしてピッ。

なんなら、記念にと買ったさやの湯タオルもバーコードをかざされて買った。

破産してしまわないかなって思った。

 

 

果たして同名の別の銭湯かもしれないけれど、ヒットしたページ。

www.sayanoyudokoro.co.jp

 

 

入口と靴箱の境目あたりに籠に入った鈴虫たちがいて、一匹が鳴くと十数匹が鳴きだして、どこかのスピーカーから流している音源なんじゃないかと思ったほどだった。

先輩はどうして一匹鳴きだすとみんな鳴くのかを気にしだしていたけれど、壁に跳ね返り響く鈴虫の鳴き声がきれいでこれを思いついた人は天才なんじゃないかと思っていた。

 

 

今度、友達に会ったら教えてあげようと思う。人それぞれ興味を持つことが違うということを忘れがちだけれど、だからこそお互いに惹かれあう部分があるのだと思うよ、と。

 

 

なんのきなしにというか、半ば現実逃避的な東京旅行だったけれど、あの時確かに同じ時間を過ごしていた人とまた出会い話し合えるというのは、とてもいいものだと思った。

 

また少し頑張ってみようと思った。