太陽と月と花火と

不確かな記憶の中に生きている

睡眠のはなし

睡眠はとても大事だ。

 

中学生までは、たとえ塾に行ったとしても23時までには寝ていたし、なんなら22時30分ごろには寝ていたと思う。

一番夜更かしをした中学の思い出は、社会科の夏休みの宿題をまったく手を付けておらず、夏休みが終わってから母に手伝ってもらいながらやったことだった。

たしか26時か28時どっちかだったと思う。人より4倍ほどデカいポスターが出来上がっていた。

 

その次が、演劇同好会の発表があり、台本を覚えることだった。それは、それでも、24時か25時くらいだったと思う。

 

バスケ部に入るまでは21時には、21時だから眠りに行きなさいと言われていた。

昨日書いたバスケのはなしにバスケ部に入った経緯を書いているので見てみてね。

ucatsmikio.hatenablog.com

 

しかしそんな生活の中でも23時ごろの夜更かしの思い出というのもある。何事にも例外はあるよね。

土日のテレビで家族向けの映画かジャッキーチェンが出る映画が放送される日だけは夜更かしが許されていた。

 

ジャッキーチェンの映画は、番組が終わってテレビの電源が落とされても兄弟で盛り上がっていた。あちょー、わちょー。

すいかの話では一番上の兄が出るが、2番目が1番盛り上がって、3番目と一緒に影響を受け騒いでいた記憶がある。

すいかの話 - 太陽と月と花火と

 

日曜は、日曜洋画劇場があり子供が見れる映画であれば「さよなら、さよなら、さよなら」をテレビに向かってやっていたもんだ。共感できる君はきっと同じ世代だね。

 

 

夜、これはまだ父と母の間で眠っていた時のはなしだけれど、トイレに行きたくて目が覚めた。真夜中だったと記憶しているが、母は起きて居間にいたので、真夜中というほどでもなかったのかもしれない。

 

トイレからの帰り道、居間を抜ける途中で、世界がぐにゃっとした。ぐにゃっとした時の感覚は今でも鮮明に覚えている。少しの揺れのような感覚と重力と体の力が抜ける感覚。

ぐわんぐわんと回りだし、立っていられなくなり、へたり込んでもなお何かにつかまっていないと不安になった。お母さん、お母さんと助けを求めたよ。

あれはいったい何だったんだろう。

 

 

そういえば、小学校4年くらいの時に、子供たちだけの2,3日があって。隠されたゲーム機を2番目の兄が探し出し、それを兄が終わった後から勝手にやっていたのは、25時とかそれくらいまでやっていたと思う。

いつも禁止されていることだったから、きっと背徳感も合わさってか、ハチャメチャに楽しかった。ちなみにテイルズオブディスティニーやってました。PS版の方。

ちなみにこの2,3日は父が人命救助で表彰されに東京に行ってたからだと思う。

どこかのおばあちゃんの話で父の性格について本当に少しだけ触れてあるので見てみてほしい。

どこかのおばあちゃんの話 - 太陽と月と花火と

 

 

実家を離れた生活の中でゲームにハマってから、夜更かしすることに慣れてきた。

今では、明日きつくなるから寝なくちゃなぁ、としか思わなくなった。それまでは抗いたくても抗えないものだった。

 

むしろ今は、寝たくても寝れない日があるくらいだからあの頃に少し戻りたい。少しだけね。楽しいこともその分あるから。辛いこともあるけど。

 

最近みた記事で、睡眠不足は脳のオートファジーを促進させるみたいな記事があったよ。どうりでボケてる時があるのね。

 

睡眠不足は万病のもとだと思う。肌もあれるしメンタルも病む。

 

寝たいときに寝れる生活を送ってみたいと今ちょっと思った。ホリエモンも遅寝遅起きで8時間近く寝てるっぽいし。

 

 

ちなみに今日は、21時くらいから23時50分くらいまで寝ていた。

いつの間にか寝るという、睡魔に抗わない睡眠というのはなんと気持ちの良いことか。

今度、友達に会ったら教えてあげようと思う。

 

 

大きくなったからといって

ひとりで寝れない夜もきっとあるよね。