誕生日のはなし
中学3年のころ夏休みの一か月間、シアトルにてホームステイをしたことがある。
ホストファミリーはそれはそれは優しい人たちでタイラー(7歳くらい)とカーソン(3歳くらい)と父と母の4人家族だった。
洗濯物は、たぶん、ガス衣類乾燥機で即乾き。
母のケリーは横にもでかく心も広いが厳しく𠮟る子育てママ。
父の名前はよく忘れるがいい人だった。こらこら忘れるなよ。ゲームが好きで航空系のITエンジニアだった。ロードオブザリングのゲームを一緒にやった。最高に楽しかった、たまにケリーに怒られてた気がする。最近調べたらたぶんボーイングかその関連会社で働いていたんだと思う。シアトルなので。
学校がある日のお昼は、サンドイッチとカットしてくれたリンゴ。たまにカップラーメンを持たせてくれた。
全然どこかもわからないけれどいろんなところに連れて行ってくれた。
一番驚いたのが午前中に屋外プールで遊んだ後に、いったん家に帰ってから映画館に行ったこと。ドリンクめっちゃでかかったよ。
何かあると自分の分のお金を出そうとするんだけど、そのたびにいいよ、払うよ。って言われてた気がする。正直もうあんまり覚えてない。
あとねスイカがめっちゃでかい。しかも5ドルとかそんなんだった気がする。
前置きが長くなった。
ホームステイ中に誕生日パーティーを開いてもらった。いくつかの中学校から一緒に来ていた人たちを招いてくれて、マクレーン一家のお庭でパーティーをした。そういえば庭にあったトランポリンで失敗して今でも首が痛い話はまたいつか。
友達がたくさんプレゼントを用意してくれていて、本当に嬉しかった。
スイカもたくさんあって嬉しかった。
主役の帽子なんかかぶっちゃって。
バスケットボールとそのバスケットボールに書かれた寄せ書きをもらったりして。もちろん今でもバスケットボールはあるが寄せ書きはかなり薄くなってほとんど読めない。寄せ書きはバスケットボールに書かないことをお勧めするよ。そのボールでバスケできないことに数年たって気づいたよ。
問題はそのあとだった。
日本に帰ってきてからも交流はもちろんのごとく続いた。
受験を控えていたしなんだかいろいろと忙しくなったし、みんなが地元からそう離れていない高校に進学する中、一人だけ陸の孤島みたいな高校に入ってしまってからはすごく疎遠になった。
あのときもらった心、プレゼントに込められた心に応えたかった。
しかし今ではもうどう応えていいのかわからない。
あれから10数回はみんな誕生日を迎えているのだ。
実をいうと、それから誕生日が少し嫌いになった。
正確に言うと、返しきれないものを貰いすぎることではなく、返しきれなかった自分が嫌いになった。
今日はこれから出かけるが、くっちゃらべった、たわいもない話をするだけがいいなって思ってる。きっと返しきれない。
今度、友達に会って、もし誕生日に何かを貰ったとしたら、伝えようと思う。
生きてるだけでいいですか。って
逆に何かをプレゼントするときには、生きてるだけでいいんだよ。って教えてあげようと思う。
明日で28になる。