メガネのはなし
メガネは中学校の頃からかけはじめた。
中学1年の頃だったと思う。
席替えで一番後ろの席になって黒板の字が見えづらいことに気づき、母に伝えたところメガネを買ってもらえることになった。んだと思う。
初めてメガネを教室でかけるときは緊張した。きっと誰かが何かを言ってくるだろうと。にしても今日のカットスイカは種が多い。
うちの中学はかわいい子が多かったと思う。
授業中にメガネをかけるのに慣れてきたころ、かわいい子がこういった。
「メガネかけると雰囲気変わるね。」
そんなの当たり前じゃないか。まぁ、当時は思春期まっただ中だったのでそんなことは全然思わなかった。なんだこの思わせぶりな発言はまったく!といった感じだった。当の本人はこんな些細な出来事覚えていないと思うが、そう、覚えている。恥ずかしい。
部活はバスケットボール部に入っていたので、スポーツ用のアダプタをメガネにつけたり、ぐにゃっと曲がるメガネを買ってもらったりした。そうかメガネでバスケやってたのか。
学生の頃はメガネをかけたり外したりしていた。部屋の中では外すとかそういう感じだった。
社会人になってからは、PCまでの距離はメガネで見てると目が悪くなるかなと思い、裸眼でPCを見ていたが、その努力むなしく今はずっとメガネだ。
会社でもメガネ、家でもメガネ、ライブでもメガネ。外すのはキスをするときくらいじゃないですかね。あ、いらない情報ですか。ソウデスカ。
まぁ、いまは全然外さなくてお風呂くらいじゃないですかね。
小学校までは目が良かった。
実家はこれまた閑静な住宅街で、しかもその当時はまだまだ分譲地の様相を呈していたから、いつでも本当に静かで背の高い建物も街灯もほとんどなかった。
だだをこねていると、隣の家の軽トラの荷台に乗せられて、言うこと聞かないと狼が来るよなんて言われた覚えがある。本当に怖かった。ちなみに軽トラの荷台に本当に乗せられていたのかは曖昧。
とにかく
夜には星がよく見えた。
今はどうだろう。
メガネをしていてもよく星は見えなかったりする。
最初のはなしの「星のはなし」のその日も見える星と見えない星があった。
いつだったか、メガネをかけたときに玄関のそばで夜空を見上げた時があった。
いつの間にか星が見えなくなっていたこと、星がきれいに見えていたこと、それすら忘れていたこと、いろんなことが一瞬で駆け巡って、どうしようもなくただ見上げたまま動けなくなった。
何年かぶりに見上げた夜空は、きらめく星を幾千もたたえ本当に綺麗だった。
きっとメガネがなかったらずっと星は記憶の奥底にたたずむままだったのかと思うとこの時代に生まれてよかったなと思えなくもない。
メガネがあったらキスはうまくできないけど、メガネがあるからきれいなものを見ることができる。
レーシックがあるじゃんって思った人はもうちょっとロマンチックって言葉を心に刻んだほうがいいと思う。嘘です、だって現代はレーシックあるもんね。レーシック便利そうだもん。メガネ外せばってのもそうだね。うん確かにそうだね。だからロマンチックって言葉を。
今度、友達に会ったら教えてあげようと思う。便利になって良いことと悪いことがあるけれど、このメガネってやつは君の顔を見れるから良いことの方が大きいと思うよ。って。
ちなみに今かけているメガネは、持ち主に似てか、いろんな場面でよく曇る。