太陽と月と花火と

不確かな記憶の中に生きている

どこかのおばあちゃんの話

おばあちゃんがこけた。 

 

借りていたアパートは一階に大家が住む一軒家だった。

その日は休日で、前の日は夜更かしをしていた。

まだ寝てる頭で冷蔵庫から飲み物を取り出し、建物の2階から外を眺めていたら、強い日差しの中を老齢の女性が日傘をさしながら道を歩いていた。

 

住んでいた場所は、閑静な住宅街ってやつで休日に家の前を通るのは猫くらいなもんだから、ってわけでもないけれど、なんとなくそのおばあちゃんを見ていた。

ら、こけた。

 

 

 

10数年は塗装されていないはずのコンクリートのその道は、ゴツゴツしていたし、おばあちゃんは割と盛大にこけていた。

年々、皮と骨が目立ってくるおじいちゃんが生きていたころだったので、咄嗟に骨折していないかと心配していたが、当のおばあちゃんはそそくさと立ち上がりまた歩き出した。

 

なんともないんだなと思いひとまず手に取っていた飲み物を空にしたところで、

悩んだ。

 

きっと擦り傷をしているだろう、しかしパンツのままでは外には出れないし、ひげももっさりと伸びているから怪しまれるのではないか、そもそもズボンを履いている間にどこかに行ってしまっているのではないか、気づかれていないだろうし見なかったことにしても何も問題はないんだろうな。

でもきっと今日のこの時は苦い思い出として残り続けるんだろうな。

そして父なら、そんなことを考えもせずにもうすでに行動しているんだろうな。

 

そう思ったところでズボンを履いて、傷薬とティッシュ箱をもって外に出た。結構な時間悩んでいたので、正直もういなくなっているかと思った。

 

玄関から出ると、おばあちゃんは10数歩ほど進んだところの電柱に手をかけながら、ツバをつけていた。どこか傷ついているようだった。

見ていたことを説明しながら階段を降りた。

70,80くらいだろうか。一通り人生を歩んできたはずの女性は震えていた。

見て見ぬふりをしようかと思った自分が情けなくなった。

 

案の定、彼女は擦り傷を負っていたし、なんなら涙さえ浮かべていた。傷よりも出来事そのものに堪えているのがわかった。

手当よりも話しかけ続けて、おばあちゃんが落ち着いたところであなたはいいお嫁さんをもらうよとしきりに願ってくれたが、そうは思えなかったよおばあちゃん。

 

人助けは難しい。

人にどう思われるかを考えてしまう。

助けたい人、その周りの人、偽善者だとかおせっかいだとかなんて思われたくない。

結局、その壁を超えるには勇気が必要だし、もしくは偽善者然としてエゴを貫き通す心構えが必要なのだと思う。

周りの目を気にしながら行う勇気か、周りの目を気にしない自分勝手さを作り上げるか。

 

今度、友達に会ったらどう思われてるか知らないが教えてあげようと思う。君が好きだよと。